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キングダム・三国志もいいけどね [雑記]

ワシは春秋戦国時代の話が好きでのう(´_ゝ`)
中国史といえば三国志が一番人気なのだろうが、俺はこの時代の逸話がお気に入りだ。

んでもっていくつかあるお気に入りのうち、ベスト3に入るのが蘇秦と張儀の話だ。

春秋戦国も末期、秦の始皇帝が中国を統一する直前の、合従連衡を繰り返す七国の興亡劇。
口先ひとつで国を動かす説客たちの活躍は非常に心躍る。

蘇秦と張儀はそんななかでも代表格の2人だが、実際のところ、ぜんぶが実話ではないらしい。
数多くいた説客の逸話を、合従派として蘇秦に、連衡派として張儀にまとめられてしまった部分はあると思う。

まあ細かい話は置いておいて。

蘇秦も張儀も若い頃は貧窮していて、鬼谷先生のもとで学んだあと、各国を遊説してまわり、やがてどっかの国の君主に認められて辣腕をふるい、名を挙げていくのが共通パターン。
そのあいだにはいろいろな政治的駆け引きがあるのだが、その話はまたの機会に。

今回は張儀の若い頃の逸話をひとつ。

彼は弁舌によって身を立てようとしたものの、なかなか芽が出なかった。
ある日、楚国の宰相(王様の次にえらい人。正確な呼称は令尹だと思う)の宴会に呼ばれ、その末席にて酒を飲んだことがあった。

その宴席にて、楚の宰相が壁(へき。ドーナツ状の宝環)を紛失した。
宴会に出席していた人々は、いっせいに身なりのみすぼらしい張儀を疑った。

そしてボコボコにされて追い出された。
往来の真ん中で行き倒れているところに、張儀の妻がやってきて「書物ばかり読んで、遊説で身を立てようとなどなさるからこんな目に遭うんですよ」と呆れて言った。
張儀は口をあんぐりと開けて、「俺の舌はまだあるか?」と妻に聞いた。
妻は張儀の口を覗き込んで、「ええ、舌はありますよ」と答えた。
張儀は不敵に笑いながら「なら十分だ」と言った。

やがて彼はライバルの蘇秦の引きもあって、秦に登用されて頭角を現していく。
強大国秦の宰相になったときに、かつて自分を辱めた楚の宰相に手紙を送りつけた。
「かつて貴公は私を盗人呼ばわりして鞭打った。自国をしっかり守られよ。私は貴方の城を盗んでみせましょう」と。

楚はこのあと、秦によって国力を急速に削がれていく。

まあ出来すぎた話だけど、春秋戦国にはこうした逸話が多い。
どれもこれも芝居がかってはいるが、男としては心躍ってしまう。

語りすぎると引かれるからほどほどにしてるけどね。

俺はキャバクラとかあまり好きじゃないけど、春秋戦国の話してくれるキャバ嬢がいるところならお金たくさん払ってもいいや(゚∀゚)
そうじゃない場合は、別段若い娘と話してもなんの得にもならんので行きたくないです(´_ゝ`)
今週末、流れで行きそうな勢いなのであらかじめ周囲に釘をさしておく。
タグ:春秋戦国
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